碧蹄館の戦い
碧蹄館の戦いは、文禄・慶長の役における合戦の一つ。
文禄2年1月26日に朝鮮半島の碧蹄館周辺で、宇喜多秀家、小早川隆景、立花宗茂らが率いる日本勢が、数で劣る李如松率いる明軍を迎撃し、打ち破った戦い。
明の軍勢による平壌陥落、大友吉統の逃亡などによって一時混乱状態にあった日本勢だが、奉行となった石田三成は、朝鮮半島北部各地に展開していた小早川隆景ら諸将を漢城に集め、戦力を立て直し碧蹄館の戦いにのぞんだ。
日本軍は午前、先陣の立花宗茂3000人が明副将-大受と激戦、立花勢はこれを撃退した。
午後、明軍は左・右・中央の三隊の陣形で進軍したが、小早川隆景軍の偽りの退却につられ追撃したところを伏兵によって叩かれ、大混乱となった。
立花勢と小早川秀包の左、右側面突撃により、一時は総指揮官の李如松の命すら危ない状況であったが、部下の李有昇が身代わりとなってこれを助け、李如梅、李如柏らがなんとか救い出した。
文禄2年1月26日に朝鮮半島の碧蹄館周辺で、宇喜多秀家、小早川隆景、立花宗茂らが率いる日本勢が、数で劣る李如松率いる明軍を迎撃し、打ち破った戦い。
明の軍勢による平壌陥落、大友吉統の逃亡などによって一時混乱状態にあった日本勢だが、奉行となった石田三成は、朝鮮半島北部各地に展開していた小早川隆景ら諸将を漢城に集め、戦力を立て直し碧蹄館の戦いにのぞんだ。
日本軍は午前、先陣の立花宗茂3000人が明副将-大受と激戦、立花勢はこれを撃退した。
午後、明軍は左・右・中央の三隊の陣形で進軍したが、小早川隆景軍の偽りの退却につられ追撃したところを伏兵によって叩かれ、大混乱となった。
立花勢と小早川秀包の左、右側面突撃により、一時は総指揮官の李如松の命すら危ない状況であったが、部下の李有昇が身代わりとなってこれを助け、李如梅、李如柏らがなんとか救い出した。
update:2010年02月22日
